@article{oai:dwcla.repo.nii.ac.jp:00000912, author = {多田, 美由紀 and TADA, Miyuki}, journal = {同志社女子大学大学院文学研究科紀要, Papers in Language, Literature, and Culture : Graduate School of Literary Studies, Doshisha Women's College of Liberal Arts}, month = {Mar}, note = {application/pdf, AA11551704-20140331-L37, 『古事記』には出産にあたって女性神が男性神のもとへ出向く、という設定が繰り返し登場してくる。しかし、平安期の文学ではその逆と言える「里下がり」の行動が多く描出されている。これは単に上代における特定社会の出産習俗が表れたものとしてよいのであろうか。本稿では、木花之佐久夜毘賣と豊玉毘売命の二女神の物語に注目し、その設定の持つ意味について考える。  平安期に「里下がり」の理由とされた出産における産穢の観念は上代においてはそれほど重くみられるものでなかった。また、『日本書紀』該当神話において、天神と天神の血筋である女神が結婚するときには出産に際して「私に産むべくあらず」に相当する発言や女神が「参ゐ出て」くるといった行動はとられない。そして、一書では同じ神の婚姻譚であっても、女神の出自が天神の血筋と明記されていない婚姻であれば『古事記』で言う「私に産むべくあらず」や「参上して産む」に類する行為が行われている。このことから、出産にあたって女性神が男性神のもとへ参上するという設定は天孫の血筋と、国神などそれ以外の勢力との婚姻に際して見られるものではないかと判断する。加えて古系譜の流れと照らし合わせることで、『古事記』物語上で「女性が出産にあたって男性のもとへ参上する」とする記述は、その母の生まれてきた子どもの血筋の正統性の証明に意味を見いだす意識が働いていると考察する。これは、『古事記』編者の系譜意識とも関わって成立したものではないか。}, pages = {37--57}, title = {『古事記』における神の結婚と出産に関する記述 : 系譜意識との関わりから}, volume = {14}, year = {2014}, yomi = {タダ, ミユキ} }