@article{oai:dwcla.repo.nii.ac.jp:00000906, author = {雨野, 弥生 and AMANO, Yayoi}, journal = {同志社女子大学大学院文学研究科紀要, Papers in Language, Literature, and Culture : Graduate School of Literary Studies, Doshisha Women's College of Liberal Arts}, month = {Mar}, note = {application/pdf, AA11551704-20150331-L41, これまで、『古今和歌集』二十七番歌は、その詞書に現れる「西大寺」と和歌の内容とがどう関わるかが解釈上の問題となってきた。同じ遍昭の「蓮葉の……」歌との関連から読み解いた契沖の説以来、玉を数珠や水晶と見立てる見方など、仏教的な解釈が多くなされてきた。また西寺は西鴻臚館を前身とするという中世以来の注釈史の伝統も、この歌の解釈に少なからず波及してきた。一方で、西寺自体は、平安時代も早々に衰退するイメージゆえか、二十七番歌の解釈史上でその歴史自体に注目が向けられることは、ほとんどなかった。  しかし、近年の考古学の知見によると、「西寺=鴻臚館」説は裏付けが取れず、白紙に戻す必要がある。そこで、改めて西寺関連の史料を、遍昭の時代に焦点を当てて見直すと、堂舎を徐々に拡大させながら組織を構築させていった伸展期にあたり 当時の西寺には、衰退どころかむしろ伸びゆく寺というイメージがあったとみられる。  一方、この歌では第五句「か」(感嘆の助詞)の位置から見ても「春の柳」に感動の中心があり、さらに、元来は秋の景物であった「白露」を、敢えて春のものとして詠み替える機知によって「春の柳」の美しさを印象付けている点に新しさがあると思われる。二十七番歌で「西大寺」が詞書に描かれたのは、当時、発展期にあった西寺が、そのような若々しい春の柳の美しさを表出する背景としてふさわしかったという理由によっていると考えられる。}, pages = {41--69}, title = {『古今和歌集』二十七番歌詞書の地名をめぐって : 遍昭の時代における西寺}, volume = {15}, year = {2015}, yomi = {アマノ, ヤヨイ} }