@article{oai:dwcla.repo.nii.ac.jp:00000341, author = {吉海, 直人 and YOSHIKAI, Naoto}, journal = {同志社女子大學學術研究年報, Doshisha Women's College of Liberal Arts annual reports of studies}, month = {Dec}, note = {AN0016561X-20111222-212, 『百人一首』と歌仙絵の関わりは、江戸時代初期と考えられる。しかも「百人一首画帖」・絵馬・「百人一首かるた」・「百人一首絵入版本」 がほぼ同時に出現するという興味深い現象として発生している。その歌仙絵の構図のモデルになったのは、「佐竹本三十六歌仙」を核とする「三十六歌仙」や『時代不同歌合』の歌仙絵であった。  しかしながら両作品には女帝が含まれていない。そこで持統天皇の歌仙絵に関しては、「三十六歌仙」の中でもっとも身分の高い斎宮女御の絵を参考にして作成したと推察した。そのため十二単を纏うという時代錯誤が生じたわけだが、それを逆手に取れば、和歌の本文異同と絡めて、平安朝の再解釈と見ることもできる (すべて勅撰集所収歌)。  江戸時代後期になると時代考証が盛んになり、藤原時代に相応しいような唐様の持統天皇が描かれる一方、女帝らしい宝冠姿の歌仙絵も出現する。特に明治に至って天皇制が復活したことと相俟って、宝冠姿の歌仙絵が倍増したようである。  以上のように『百人一首」の画像においては、持統天皇が最もバラエティに富んでいることが明らかになった。持統天皇は「百人一首』の看板娘だったのである。, 論文 (Article)}, pages = {212(9)--204(17)}, title = {『百人一首』画像論 : 持統天皇の歌仙絵を例にして}, volume = {62}, year = {2011}, yomi = {ヨシカイ, ナオト} }