@article{oai:dwcla.repo.nii.ac.jp:00002347, author = {浅野, 久枝 and ASANO, Hisae}, journal = {同志社女子大学大学院文学研究科紀要, Papers in Language, Literature, and Culture : Graduate School of Literary Studies, Doshisha Women's College of Liberal Arts}, month = {Mar}, note = {application/pdf, AA11551704-20220331-L47, 明治期から昭和期にかけて、大歌舞伎の一ランク下に小芝居と呼ばれるジャンルの歌舞伎劇団が数多く存在した。しかし戦後それは衰退し「小芝居は消えた」といわれたが、いくつかの中芝居(関西系小芝居)劇団は戦後も活動し、その中でも市川市蔵劇団は昭和五十年まで存続していた。元市蔵劇団員から彼らの演じた演目やその演出の具体的内容の聞き取り調査を行ったところ、彼らの演じる歌舞伎演目では大歌舞伎とは異なる小芝居独特な演出も行っていたことが分かった。それらを分析すると、明治期以降、歌舞伎の近代化とともにあまり使われなくなった「早替り」、「人形振り」、「ケレン」など江戸期から歌舞伎に取り入れられていた演出方法が、昭和期まで小芝居の中で保持されていたことが明らかになった。すなわち、明治期に起こった歌舞伎に対する「芸術至上主義」あるいは「改良運動」の中で大歌舞伎の中では薄められていた、岸田劉生の言うところの「芸術的に高級なる卑近美」、すなわち江戸期の歌舞伎が持っていた「ふざけ」「猥雑」「現世的」「説明的」「グロテスクさ」、あるいは「傾く」演出は小芝居世界の中に存在し続けていたのである。それは小芝居が「芸術」よりも「観客を喜ばせる」「楽しませる」ことを第一義的に考えて活動していたからこそ可能であった。さらに言えば大歌舞伎と小芝居の交流の中で、小芝居の中で存続していた演出が戦後の大歌舞伎の活性化にも一役買ったのである。 以上、近代化とともに消えていった近代的ではない歌舞伎、すなわち江戸期の歌舞伎の特徴を小芝居が受け継いで昭和後期まで活動していたことを明らかにすることができた。}, pages = {47--73}, title = {歌舞伎演目における小芝居・中芝居独特の演出とその保持について : 昭和五十年まで活動した中芝居劇団市川市蔵劇団の軌跡}, volume = {22}, year = {2022}, yomi = {アサノ, ヒサエ} }