@article{oai:dwcla.repo.nii.ac.jp:00002139, author = {岸, ひとみ and KISHI, Hitomi}, journal = {同志社女子大学大学院文学研究科紀要, Papers in Language, Literature, and Culture : Graduate School of Literary Studies, Doshisha Women's College of Liberal Arts}, month = {Mar}, note = {application/pdf, AA11551704-20190329-L49, 『源氏物語』横笛巻において、柏木の一周忌を迎えた折、光源氏が柏木を哀悼し供養する場面で、「よろづも知らず顔にいはけなき御ありさまを見たまふ」と記されている。薫が「知らず顔」であるとし、その対象は「よろづも」とあるように、実父である柏木が亡くなり、自分が女三の宮の密通によって生まれたという一切の事情である。この「知らず顔」は、「知らない様子」と訳されているが、字義的には、知っているのに知らないふりをするという意味である。『源氏物語』の「知らず顔」の用例を調べると、人に対しては、すべて「知らぬふり」という意味であるのに、なぜ薫にそれとは異なる意味で「知らず顔」という表現が使われたのかを考察した。 他者が「知らず顔」とする場合は、他者自身の意識が、根底にある。「知らず顔」の主体が人以外の場合は、「知らない様子」と解される場合もあるが、それも人と同様に「知らぬふ り」とするべきである。 横笛巻も、源氏が薫を「知らず顔」と「見たまふ」ことから、そう思う人の意識が投影されているので、何も知らない薫ではなく、「知らぬふりをしている」という源氏の思いと解す べきことを論じた。 源氏は、以前は薫を柏木に似ている不義の子と見ていたが、柏木と切り離して薫を見つめ、独立した存在であるという意識に変わった。続く「いみじくあはれなれば」は、薫自身に対す る思いであり、源氏の死後、真相を知ることになる未来の薫を重ねて、知らぬふりをしていると感じたと解釈したい。 薫の「知らず顔」は、「知らない様子」ではなく「知らぬふり」と解することで、薫の将来を予言し、薫の主人公性を付与する語句なのである。}, pages = {49--65}, title = {『源氏物語』薫の「知らず顔」再考}, volume = {19}, year = {2019}, yomi = {キシ, ヒトミ} }