@phdthesis{oai:dwcla.repo.nii.ac.jp:00001596, author = {黒川, 悦子 and KUROKAWA, Etsuko}, month = {2018-05-10, 2018-05-10}, note = {2017, application/pdf, 内藤鳴雪は弘化4年(1847)4月15日、現在の東京都港区三田1丁目の江戸松山藩邸中屋敷に生まれた。前年に父が江戸藩邸に住む常府を命ぜられ、松山から江戸へ引っ越したため江戸で生れたのである。このことからも分かるように、鳴雪は松山の名家の生まれともいえる。                                         鳴雪が本格的に俳句を始めるようになったのは明治25年、45歳のときである。これは、常盤会寄宿舎の監督をしていた鳴雪が、舎生の正岡子規に俳句の指導を受けるようになったのが契機となっている。鳴雪はこれまで子規の漢詩の師であったのだが、俳句では反対に弟子となったのである。鳴雪は子規よりも20歳年長であるが偉ぶることもなく、また、高浜虚子や河東碧梧桐ともお互いに俳句仲間として接していたようだ。鳴雪の為人のわかるエピソードである。鳴雪は大正15年2月、80歳で没するが、その人生は常に俳句と共にあったと言っても過言ではない。  本研究の目的は、子規とともに歩んだ鳴雪の俳句活動を通して子規の俳句革新運動を新たな視点で捉えなおしてゆくことである。何故なら、これまで子規の俳句革新運動の担い手として高浜虚子と河東碧梧桐が注目されることが多かったからである。}, school = {同志社女子大学}, title = {内藤鳴雪研究 -子規と歩んだ俳句活動-}, year = {}, yomi = {クロカワ, エツコ} }